Think Evolution #1 : Kiku-ishi(Ammonite)進化への考察 #1:菊石(アンモナイト)
2016-2017
Ammonite fossil, resin, HD video
Provider of CT data: White Rabbit Corporation
3D CG modeling support: Yuji Osagawa
アンモナイトの化石、樹脂、ビデオ
アンモナイトCTスキャンデータ提供:有限会社ホワイトラビット
3DCG制作協力:オサガワ ユウジ
After prospering for 300 million years, the ammonites disappeared when the dinosaurs went extinct 66 million years ago. From shell structure and fossils, it is assumed that the ammonite is closely related to the squid and octopus. The octopus has thrown away its shell in the course of evolution, but it is known to use tools such as coconut shells and bivalves to protect its soft body. Inspired by this evolutionary story, I began a journey of thought experiments to restore the shape of an excavated ammonite shell and arrange an encounter with octopus.
アンモナイトは3億年もの繁栄ののち、6,600万年前に恐竜とともに絶滅した。その殻の構造や化石から、アンモナイトはイカやタコの近縁であるとされている。一方、タコは進化の過程で貝殻を捨てたとされているが、柔らかいその身を守るため、ココナッツの殻や2枚貝などの道具を使うことが知られている。その進化の物語に着想を受け、発掘されたアンモナイトの殻の形状を化石のCTスキャンデータから復元し、タコと出会わせる思考実験の旅を始めた。
自然史を逆撫ですること:
AKI INOMATA 《進化への考察》について
アダム・タカハシ
世界は、無数の個体からできている。その個体として念頭にあるのは人間だけではない。さまざまな動物や植物、そして微生物、名もなき生命体、さらには無機物、果ては一つ一つの元素まで……。それぞれが個体として相互にかかわりながら、この世界を形作っている。だが、私たちが実際に目にできるのは、あるいは理解できるのは、そのごく一部分でしかない。他の多くの事柄については気付くことすらないまま、私たち自身も各々の生を終えていかざるをえない。
諸個体はそれぞれが固有な時間あるいは歴史を有している。その時間性は世界内の一存在にすぎない人間の認識の地平をつねにはみ出している。また、個体の有する固有な時間は他の様態でもありうるのであり、絶対的であることを意味しない。だが、それが偶然的に変わりうることは、世界のなかで論理的に可能なことがすべて起こりうることを意味するわけでもない。
AKI INOMATAの《進化への考察》は、単なる審美的な判断の対象としてではなく、むしろ世界の成り立ちや進化の秘密そのものを開示する作品として私たちの眼に映る。アンモナイトは、今となってはその殻が化石として残るにすぎない。だが、遠い過去においてはその殻を棲家とした生き物も存在していたはずだ。彼女が工学的に復元したアンモナイトの殻に、作品内では生きているタコが棲みついている。現在のタコは筋肉が十分に発達しており、固い殻で自身の身を守る必要はない。彼女の作品をとおして、もはや失われた現実あるいは存在したことすらない過去が、別の形で再演されているのである。これまでの自然史の流れにおいてはすでに分岐してしまったはずの二つの存在が、別の生態系を構成することで新たに一つになっているのだ。
INOMATA作品の多くは、人間と動物とのもしくは動物同士の〈協働〉によって創られている。その〈協働〉はもはや彼女のトレード・マークと言っても良いだろう。ただし、あらためて注意したいのは、その際に協働しているのが一つの「種」と別の「種」ではないことである。邂逅しているのは、常に「個体」同士である。各々の個体は、自身のもつ可能性の範疇のなかで他の個体へとはたらきかけ、そして自らも別の個体からはたらきかけられている。それらの相互作用をとおして、元々独立していた個体は異なる生態系をおり成すことになり、別種の個体へと変容を遂げてしまうことになる。
彼女の作品は、フランスの哲学者カンタン・メイヤスーが『有限性の後で』で論じた〈祖先以前性〉の概念を私たちに想起させるかもしれない。メイヤスーは、世界の因果性への懐疑からその因果性の根拠を人間の理性へとスライドさせたイマヌエル・カントの試みを逆向きに捉えなおし、人間の理解の枠を超えた世界の実在性とその偶然性とを肯定しようとした。たしかにINOMATAが、人間の認識の枠にとらわれない世界の物質的な実在を作品のなかで肯定している点は、メイヤスーの議論と対応するように感じられる。
だが、それだけでは《進化への考察》という作品が示唆するものを汲み尽くすことはできないだろう。生命を有した個体同士は、彼女の作品のなかで出逢われているのであり、その出会いが可能になったのは、あくまで新しい工学装置を活用した彼女の設定した舞台においてなのである。そう考えると、むしろ彼女は個体同士の振る舞いを、私たちの現実の自然史とは異なる形でシミュレーションしている、そしてそれによって自然史自体を逆撫でしているととらえた方が適切かもしれない。
INOMATAの作品内では、個体の振る舞いの偶然性が単に肯定されているのではなく、生命体の現象がある種の自然法のもとで生起しているのである。もちろん、その場合の自然法は絶対的なものではありえないし、それがかりに存在するとしても、それは個々の事象の集合から遡及的に見出されるものでしかない。彼女の作品からは、個体の自由な戯れとともに自然の法的な厳粛さも私たちは感じ取ることになる。それは、彼女が創り出しているのが、単なる偶然性でも可能性でもない、もう一つの自然の〈現実〉だからなのである。